人間学を学ぶ月刊誌「致知」2018年7月号 特集テーマ「人間の花」において、日本コカ・コーラの東京2020年オリンピックホスピタリティ責任者 薄井シンシアさんのインタビュー記事が掲載されています。
「いくつになっても自分を成長させることで人生の花が咲く」というタイトルの通り、結婚を機に専業主婦となり、子育ての目処がついた52歳になって仕事に復帰するというチャレンジを実行することで、復帰当初はアルバイトからスタートしたのが今では東京オリンピックに向けた重責を担うようになっています。
現在に至るプロセスにはどのような天気やプロセスがあったのでしょうか。
この人には「成長」しかない!
まず、このインタビュー記事を読んで私が感じたのは、
「こんなにスゴイ人が本当にいるんだ!?」
ということです。
ポイントを挙げると、コーチングの世界ではまずゴール設定をして、コンフォートゾーン(現在の自分)とのギャップを認識して埋める努力をしていきます。
その過程で、エフィカシー(自己効力感)を高めてコンフォートゾーンから脱却して、どんどん目標に近づいていくようにしていきます。
このプロセスを人生において、うまく回して成長していかれています。
それは目標の変更もあったり、エフィカシーを高めるということで実現できているんですね。
薄井シンシアさんはこんな人
フィリピン生まれ(華僑の家)。国費留学で二十歳の時に東京外国語大学へ留学。
その後、広告代理店に勤務し、外務省勤務のご主人との結婚を機に専業主婦に”転職”。
娘さんの大学進学を機に仕事に復帰。
当初はタイ在住だったので、娘さんが通っていたインターナショナルスクールでのアルバイトからのスタート。
その後、日本に帰国後はアルバイトから始まり有名ホテルでの経験を経て、現在日本コカ・コーラの東京2020年オリンピックホスピタリティ責任者を務める。
専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと [ 薄井 シンシア ]
人生の3つの柱
インタビューの中で半生を振り返ってらっしゃいますが、人生を大きく3つに分けています。そのそれぞれを真剣に取り組んできたから、今があると語ります。
専業主婦への”転職”
大学卒業後は広告代理店に勤務されていましたが、娘さんを出産された時に「この人を一人前に育てることが、私の人生最大の仕事だ」と直感し、専業主婦になったそうです。
その時には、もちろん葛藤があったものの専業主婦に”転職”したと考えて、仕事をするように家事をしたそうです。
それは、ご主人が外務省勤務で3年ごとに住む国が変わるため唯一変わらない「家族」の生活を維持するためです。
例えば、大切な家具は毎回持ち運び、食事にも気を使ってカレーのルーやヨーグルト・パンなどは全て手作り。一ヶ月の間に同じ料理は絶対に繰り返さないこと。などなど、新しい土地に移っても、慣れ親しんでいる生活をすぐに再現できるように腐心されていました。
子育て
いざ子育てが始まって、自身が後悔しないためにもシンシアさんが決めた目標は、
「一人前(社会に迷惑をかけず働いて税金を払って生きていける人間)に育てよう!」
そのためにも心掛けたことは、娘と一緒に成長していくこと。
小さい時は、話をしっかり聞くことや娘が読んだ本は自分も全て読むといったところ。
しかし、大きくなってからは娘さんはハーバード大学を出て、インベストメントバンカーをし、改めてハーバードのロースクールに入り直し、現在は州最高裁判所の最高判事のアシスタントを務めているという。
そして、驚くべきことに一緒に成長するために必死に金融の記事を読んで、今では法律の記事を読んでいるそうです。
そしてもう1つ、素晴らしい教育をされています。
それは「社会の一員としてどのように生きるか」を自身の背中を持って教えたこと。
シンシアさんは世界各地を回る中で、娘さんの通う学校のPTA役員を全て務めたそうです。当時、娘さんはどこに行っても優秀な子で、簡単な言い方をすると少し思い上がったような部分があったように感じられたようで、恵まれていれば恵まれているほど世の中にお返しする義務があると自身の背中で伝えたかったと言います。
社会復帰
その後、娘さんの大学進学をキッカケに社会復帰を決意して、まずは娘さんが通っていた対のインターナショナルスクールにて、アルバイトからスタートします。
正直、この段階で「2,500人が通うカフェテリアの大改革」という、1食100円の世界で年間1億円の売上をあげる実績をつくるほどです。
その後、52際の時に日本で職を探すも最初は時給1,300円の電話受付のアルバイト。この時に意地やプライドなど持たず、どんな仕事でもいかにうまく仕事をするかを自分と競っていたといいます。
その後は、タイ時代の繋がりがあってインターコンチネンタルホテル東京の営業マネージャーとして入り数々の実績を積み重ね、2年目にはシニアマネージャー、3年目には営業開発担当副支配人を拝命して計4年半の間勤めます。
その頃には紹介等で自動的に仕事が舞い込んでくるようになり、必死に努力している実感がなくなってきたと。
そこで、シンシアさんは「常に成長し続けるために、居心地の良い場所から積極的に出る」という信条に照らし合わせて、何度か声をかけられていたシャングリラホテル東京で最高級のおもてなしを学ぼうと転籍します。
その半年後、日本コカ・コーラに転籍して今に至ります。
目標(ゴール)が変わるからどんどん成長する
現在のご自身の目標は、
「1人の大人として、親として、自分は次の世代の人たちに憧れられる存在になっているか」
その問い掛けに照らし合わせることが、自身の原動力になっていると語っています。
これは、年齢に関係なく常に「成長」を意識しているからですね。
そして、その原点になるこんなエピソードがあります。
娘さんが大学生の頃、「どんな仕事がきてもやる自信はあるけど、唯一自身がないのはお母さんのような母親になること」と言ったそうです。
一般的には尊敬の念が含まれている感じますが、シンシアさんはこう感じました。
「自分が仕事復帰して、専業主婦を終えても仕事に就けるという証明をしない限り、将来娘は安心して子育てができない」
私のような母親とは、専業主婦になることだから。
「娘を育てたおかげで可能性が広がって現在の自分がある。その経験を基に私が仕事を通じて輝き、娘に勇気を与える存在になろう」
こんな決意が今に至るキッカケです。
まとめ
いかがでしたか?
これだけ刺激を与えてくれる方も珍しいのではないでしょうか。
年齢は誰もが平等に時間を過ごしていく上で重ねていくものですが、その密度は人によって全く違います。
この瞬間かほんの少し行動を起こすだけで、全く違う未来が待っています。
1年前と今は大して変わらなくても、行動をし始めた1年後がどう変わるかはあなた次第です!