本ブログを読んでいるあなたは、夢や目標に向かって現状を打破しようと強い気持ちを持たれていることでしょう。日々、様々な意識と行動により”努力”を積み重ねていらっしゃる。
その内容をさらにブラッシュアップして成果につながるよう方向と確度を高めるためにはどのようにすればいいのか。
北海道帯広の歯科医であり、コーチ・セラピスト・経営コンサルタントでもある井上裕之氏の著書「努力の選び方」よりご紹介します。
時間の無駄遣いをやめる
「努力は必ず報われる」
よく聞く言葉だが、井上氏は報われない努力もあると明言する。
まず認識しないといけないことは、人間には必ず向き不向きがあって得意な人にやってもらったほうが時間も短く、”成果につながる”ということ。
そして”成果”につながらない努力は時間の無駄であるし、「努力の負けグセ」がついてしまう。
井上氏は、全てにおいて常勝は不可能なので負けそうなものは避けて、勝てそうなものに徹底的に努力することを推奨している。万能ではなくていいので、ある1点に特化して努力を積み重ねていく。
その1点とは、「集中できること」を見つけること。
ハマるものを見つけたら、時間とお金を注入して時間をかけずに取り組む。そして強い欲求に向かって邁進していくこと。
そうすると、努力を努力と思わずに突き進んでいける。
井上氏は、「自分は努力している」と感じたら危険信号だと言っている。確かにそう感じていると言うことは、なんとか意識してその行動をとっていることになるから無理が積もってくる。
本来、自分自身が興味を持ったことは惜しみなく時間を費やしても長いとは感じないですよね?
子供の頃、そうじゃなかったですか??
人間は自分が満たされているときは、快楽ホルモン”ドーパミン”が分泌されて満たされるんです。人間の行動は、”ドーパミン”を得るために行われていると言っても過言ではないぐらいです。
このように努力する対象を絞って行くと意識が、自分自身の消耗を防ぎ、周りの人たちと”違いを生む”土台となっていくんですね。
やっぱり素直に限る
”素直さ”が重要というのは、歳を取れば取るほど感じるようになる。それはどんどん失っていくものだからだろう。
井上氏は、”まっさらな状態”を素直と言っている。
人間には価値観というものがある。
過去の自分の価値観で生きていると先入観によって、心理的なわだかまりを持ったまま努力をする。
そんなことでは得られる成果も少なくなってしまいます。先入観なく「これがいいいよ」と薦められたら、愚直にやってみる。それでこそ上手くいった時の成果も最大化できるということです。
途中、「なぜ、これをしなければいけないのか」「やる意味があるの?」と理屈ばかりが先に立っていては吸収力も継続力も少なってノウハウコレクターになってしまう。
井上氏は、「コーヒーの中にオレンジジュースを注いでいる」と表現している。
すでに何か入っているカップに別の物を入れても何にもならないということだ。まず何も入っていないカップに変えてオレンジジュースを注ぐ。すると鮮やかなオレンジ色になり飲んで美味しい飲み物になるということだ。
この比喩から言えることは、空っぽにした器に努力を注ぎ続けることが成功を掴むためには必要だということ。何より一番重要なのは、空っぽの器を用意できるということだ。
まとめ
努力とは成功や目標達成のためにするものというイメージがあるが、実は関係ないことでも我々は心を砕いてしているのかもしれない。人間関係・しなければならないことに心を砕いて、無駄な努力をしている。まぁ、世の中の退職理由のトップが”人間関係”であることがその証拠だろう。
井上氏はそのような無駄な努力に割いている労力を成果に繋がるものに集中させるように促している。
やはり努力を積み上げてきたという自負のある方の言葉は重い。
著書では、これまでの自己研鑽や努力の積み重ねについて書かれているがプロセスを非常に重要視されている。どのようなものであれ、自分が選んだものに一所懸命に努力をして進んでいく。途中息切れしそうななったときは、ペースを少し落としてもいいのでも継続していくこと。そうすると努力が花開く閾値(ティッピングポイント)にある日突然たどり着く。それまでは全く成功の光が見えなくても突然光に包まれるのだ。
有限の時間を空っぽの器にどれだけ注ぎ込み続けるか、それが”意味ある努力”にするために意識することである。そのためにも無駄な時間を削ること、そして先に努力のための時間を確保すること。これが重要だ。
休日、セミナーに参加しようと思っていても仕事が入ると仕事を優先してしまうのが普通の人。そうするといつまで学ぶことができないので、勉強の優先順位を最上位に持っていくという意識付けもほんの少しだけ気をつけるだけ。
このように、ほんの少し気をつけることが”意味ある努力”に向かっていく第一歩と言える。