皆さん、あまりにも日常的に利用している”地下鉄”がいつどのように世に現れたかご存知ですか?
地上に線路を敷設して列車を走らせているものを、地下に穴を掘って走らせるまでにどんなエピソードがあるのか、人間学を学ぶ月刊誌「致知」2017年9月号に鉄道ジャーナリスト 梅原淳氏が寄稿しているのでご紹介します。
地下鉄の始まりはロンドンだった
今から150年以上前、1863年にロンドンで世界初の地下鉄が誕生しました。
その背景には、いち早く産業革命を経験し世界で最も工業化の進んだ都市”世界の工場”だったため、様々な国から人々が集まり街は大変な混雑状態にあった。飲料水・下水の区別なく利用されていたテムズ川を行き交う蒸気船は、河川の汚染をより一層進め、橋を渡る人々が鼻を覆うほどだったという。
また、家屋やオフィスが乱立して行き場のない貧しい労働者たちが都心部にスラムを形成し衛生環境は非常に劣悪だったそうだ。これでは前にも後ろにも進めないということでロンドン市は対策に乗り出した。
地下鉄ができる前
そんな状況で様々な案が出て、”地下に人が歩けるトンネルを作ってはどうか”という提案がなされると、フランス人技術者・ブルネル親子により1843年に世界初の水底トンネル「テムズ・トンネル」が建設された。
しかし、地下トンネルだけでは混雑を解消するには十分ではなかったため、ランベス地区選出の下院議員、チャールズ・ピアソンによって地下鉄建設計画が発案・推進され、ロンドン市議会から承認を得られました。のちにピアソンは”地下鉄の父”と呼ばれます。
19世紀初めにはすでに実用化されていた鉄道と歩行者用の地下トンネルも作られると、”地下に鉄道を走らせてはどうか”という閃きが生まれるのも必然、自然な流れだったのだ。
地下鉄は市民のために作られた
当時のイギリスは厳しい階級社会であり先進的な技術や乗り物はまず貴族や特権階級のために活用されるのが当然のことだった。しかし、ピアソンは当時としては非常にリベラルな考えの持ち主で、何より市民が利用できる交通手段が必要だという強い思いがあった。
ピアソンは世界初の地下鉄の完成を見ることなく、開業の前年に亡くなってしまったが、地下鉄開業後は当時の人口280万人に対して1日約2万6千人の市民が地下鉄を利用したそうだ。
初めて地下鉄に乗った人たちの日記を見てみると、好印象な感想が多く残されている。
「快適でスムーズに進む」
「普通のトンネル以上に不愉快な臭いはしなかった」
「安全で静かに感じられる」
現在の地下鉄
ロンドンの地下鉄は約402kmで世界一の長さを誇っている。ちなみに
2位 約374km ニューヨーク
3位 約372km メルボルン
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5位 約299km 東京
乗客数では
1位 853万人 東京
2位 705万人 モスクワ
3位 591万人 ソウル
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10位 294万人 ロンドン
世界初の地下鉄工事の際は、多大な事故や被害があったことは想像に難くない。
しかし、その時の苦労があってこのように現代のスムーズな移動につながっている。
特にシールド工法と電気機関車による新しい地下鉄は「チューブ」の愛称で親しまれている。
シールド工法とは、筒状の枠を推し進めながら土砂を掘り出してトンネルを組み立てていく方法で、
断面がチューブのような円形になるものです。
まとめ
「必要は発明の母」という言葉がある。
今回の特集のテーマは「閃き」であったが、全くゼロから突飛な発想で今までにないものを生み出す発明よりも、今あるものに目を向けどう活用し、いかに改善・発展させていくかという閃きが物質的に豊かになり、あらゆる欲求が満たされるようになった現代では重要ではないかと梅原氏は語っています。
地下鉄の誕生を追ってみると、そもそもテムズ・トンネルが作られたこともびっくりしますが、人が歩く地下トンネルというものは古代ローマの時代にすでにあったということにもびっくりですね。
その古代からのものと19世紀初頭に台頭した鉄道を掛け合わせて現在にも続く地下鉄を”閃く”というキッカケは、ピアソンの市民のためを思う気持ちではないだろうか。
やはり当時、地のトンネルを鉄道が走るということに抵抗や揶揄も多かったそうだ
ある宗教家「悪魔が住み着く地獄の地底を掘り起こすことで、世界の終末は一層早められるだろう」
タイムズ紙「空飛ぶ自動車と同じぐらい馬鹿げた、常識はずれのユートピアだ」
いかがでしょうか。今の視点で振り返ると何を言ってるんだという感じですが、我々の身の回りにこんなことないですか。案外、それは未来の常識かもしれませんよ。。。