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男子の夢 いかにして忍者になるか

「致知」

人間学を学ぶ月刊誌「致知」2018年2月号特集テーマ「活機応変」にて、現代に生きる忍者:甲賀伴党二十一代宗師家 川上 仁一氏のインタビュー記事が掲載されている。

忍者というと世界から術技や精神性に関心を持たれるが、日本人である我々にとっては時代劇やアニメ「忍者ハットリくん」のイメージが強く、その実像知ることがない。


川上氏は甲賀に五十三家と呼ばれる忍者を構成する士豪の名門のうち古士、伴一族がまとめた”伴党忍之伝”を受け継いでいる。現在、川上氏はの2011年から忍者と忍術を総合的に研究を行なっている三重大学社会連携センターにて特任教授を務めている。

そんな川上氏の忍者との出会いから修行の内容をご案内いたします。

 

先代との出会い

 

忍者稼業というものは、世襲ではないらしい。

なんと先代との出会いは、6歳のとき近所の神社だという。70歳ぐらいの老人で、柱に打ち付けられた釘に真ん中に穴の空いた古銭を勢いよく投げつけると見事に穴に釘が通るところを見てその老人に惹きつけられ放課後には、毎日のように遊ぶようになったという。

まるでお爺さんが孫に遊びを教えるように、釘に古銭を通す練習や音を立てずに歩く練習をしていった。小学校三年生ぐらいの時は、「今やっていることを誰かに喋ったらだめだ」と言われていたというから怪しい話ですよね。

 

川上氏の成長とともに内容も具体的になっていき、小学校高学年になる頃には暗闇でも目が見えるように訓練したり、家族にバレないように夜中に家を出たり知り合いの家の鍵を開けたりという術を身につけていったという。そういう時の基本は、やはり「抜き足差し足」だそうだ。

片足を引き抜きように高く上げ、そこから指先で地面を触るようにそっとおろしていく。そうすることで暗闇でも石や段差に引っかかることもない。その他、火薬の調合や身近な草花で薬草の作り方も伝授される。

その後、中学生の頃には人間の心理、喜怒哀楽を利用した謀略手法を教わっていったという。

人間は感情の生き物なのでこのようなものを利用するとともに、自分自身はそのような感情を制御するように先代より教えられたという。

 

七情・・・(喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲)

五欲・・・(食・色・物・風流・名誉)

三利・・・(天の時・地の利・人の和)


このようなことは中学生時分には深くできないので、40歳を過ぎるまでは様々な葛藤があったそうだ。

 

忍者へ邁進

 

忍者の忍は、忍耐力の「忍」である。忍者は忍耐力を鍛える鍛錬を怠らない。

小さいときは、大小便を我慢する・寒い中で薄着をする・暑い中で厚着をさせるなど。

その後18歳を過ぎると、30日の断食や72時間の断水も行い、眠らない訓練のをすると3日眠らないと幻覚が出てくるそうで。そのように自分自身の限界を知るということが「忍」ですね。

 

実は中学生の頃、この忍者修行が親バレしたそうだ。

しかし、正直に忍術を教わっていると説明すると「怪我はするな」と言われただけで受け入れられたそうだ。それ以降高校時代は武術クラブを作って、大ぴらに練習に取り組めたという。

そして19歳の時に、先代の自宅に呼ばれ二十一代を継いだ。”伴家忍之伝”を継ぐということだ。

武術流儀には免許皆伝があるが、忍術にはない。家系図や由緒書、武器や武具を譲り受け伴家という家を継ぐ。それが忍者だ。

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忍術の極意とは

 

「忍術の忍は、堪忍の忍」

 

忍術は忍び込む術ではなく、じっと堪忍・我慢する術であり極意は忍耐・和の心にある。

かつて原子の頃の狩猟生活から、農耕生活に移行しムラが形成されていく中で自分の思っていることを我慢して皆と協調することが必然となる。また、自然災害や四季の変化への対応が必要であった。しかし、人には争う本能があるので近接するムラ同士の様々な対立があったと想像される。

その時になるべくお互い傷つかないための、相手の弱点を探る情報収集能力、談合などで最小限の力で相手を制する知恵や技術と言える。

このように忍術のは、日本人の精神性や生きる知恵が凝縮されていると言える。

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まとめ

 

忍者になろうとして忍者になれるものの、それは偶然から始まった。

先代が70歳の頃に6歳の川上氏を見つけ術・技を教え込み継承されている。川上氏の後継者の発掘はどうなるだろうか。いまの時代、神社で「誰にもいうな」と言って教えるのも難しい時代だ。

いかに”出逢い”によって川上氏の人生が動いたか。先代は何かをその時に感じたのであろう。

また、この川上氏の経歴で驚いたのは、現職に着く50歳ぐらいまではサラリーマンをしていたそうだ。やはり忍者では稼業とはならないんだという事実と、そんな中でも修行を続けてきているという事実がある。

これまで「忍者ハットリくん」のイメージしかなかったが、具体的な現在の忍者について知ることが出来て興味深かったのでご紹介しました。