人間学を学ぶ雑誌「致知」の2017年12月号が届いた。
今月の特集テーマは「遊」
これから読み始めるが、もくじで目を引いた記事がある。読者投稿コーナーへの「堺市泉北断酒連合会」の会長を務める松井直樹氏の寄稿だ。
私自身、2017年現在断酒に踏み切り着々と月日を重ねているので興味をひかれた。”アルコール依存症”の想像を絶する壮絶さが書かれているので、ご紹介しておきます。
アルコールと適度な距離間をもって付き合える方はそれで良いと思います。でも、このままでは・・・って少しでも心の片隅で感じているアナタがいるなら、この記事を参考に”断酒”を決意されてみてはとおススメしたい。
節酒・禁酒という言葉もあるが、そんなことができるならとっくにやっているよ!という方、ぜひこの記事をご一読頂きたい。
松井氏のアルコール依存症
アルコール依存症のあまりにも壮絶な体験を赤裸々に綴られている。
- 大学寮での新入生歓迎会での大量飲酒後、バイクに乗ってタクシーと衝突事故
- 就職後は、毎日飲酒し目を覚ますと裸に近い状態で、駅や公園でひっくり返っていた。
- 給料はもらったその日に全て酒代に消え、二百数十万円の借金。(両親に”初めて”借金の返済させた)
- 29歳で結婚するも毎日飲酒して朝方に帰宅。注意されると暴力を振るうという有様で、3年で離婚。
- 35歳の時に六百数十万円の借金を作り、梅田のホテルで大量飲酒で飛び降り自殺を決意するも、
- 飲酒後に意識を失い数日後にフロントからの電話で目を覚ます。
- この時、母親から現金とともに「誰も責めないから安心して帰ってきなさい」という手紙が
- フロントに預けられていて救われる。
- その後も飲酒が原因となる借金を繰り返して、ついには母親からも「お腹を痛めて産んだ子やから、私の手では殺されへん。どうか頼むから自分で死んでくれへんか」と頭を下げて頼まれる。
- ついには会社の金を横領して逃亡生活を送る。
- 睡眠薬と酒を一緒に飲んで自殺を図るも目を覚ますと警察署で保護されていた。
断酒を決意
その後、母親が奔走しアルコール依存症を専門に治療する新生会病院に入院し、相部屋の肩に断酒会の存在を教えて頂き、一緒に参加することになったそうだ。
初めて断酒会に参加した時、当時の会長さんに「よう来たね」と笑顔で声を掛けられたことが今でも忘れられないと言う。それまで、飲酒のことで虐げられることはあっても、褒められることはなかったのでその温かい言葉に「来週も来よう。断酒をやり遂げよう」と決意した。
まさに”出逢い”である。
断酒会とは
飲酒により周囲に迷惑をかけることを”酒害”と呼び、その”酒害体験”を語りあう。
自身の辛い過去を忘れないこと。「自分だけではなかった」という孤独感が和らぎ、同じ悩みを持つ仲間ができる。「断酒は仲間とともに」が重要だという。
その断酒会の2時間は命懸けの真剣勝負で、「ここで酒をやめられなかったら死ぬしかない」という覚悟と緊張感を持った雰囲気で包まれているという。
体験談の中で「お酒がやめられない」と悲痛な表情で訴えた数日後、自ら命を絶った人もいるそうだ。
まとめ
皆さま、いかがでしたでしょうか。
アルコール依存症といってもここまでの方はなかなか出会わないのではないだろうか。いや、なかなか見かけることもないレベルかもしれない。
内閣府の発表によると、アルコール依存症患者は約百九万人いるとされ、その中で専門的な治療を受けているのは五万人にも満たないという。
それだけ、予備軍ではなく自覚のある人も病院に治療に行くという意識や選択肢が社会に浸透していない証拠ではないだろうか。
今回、松井氏は断酒会の会長を務めて行く中で、未成年の飲酒や飲酒運転の問題に取り組むとともに、腰が痛くなれば整形外科に行くようにお酒の問題があれば当たり前のように病院に行く社会の実現を目指しているという。
冒頭にも書いたが、少しでも断酒という言葉が頭をよぎるような方は、断酒会に参加体験をされてみてはどうだろうか。得てして、”自分は大丈夫”とか”まだそこまでじゃない”とか思っているのが、呑兵衛だろう。
その呑兵衛の先輩たちの話を聞いてみる良い機会になると思う。そして、そこには”出逢い”がある。
人は”出逢い”によって磨かれて行く。それはどんなタイミングか。
”人は一生のうちに逢うべき人に必ず逢える
しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に” 哲学者 森 信三
松井氏にとっては、来たるべきタイミングが何度かの自殺未遂の先にあった。
そしてその”出逢い”を得るために断酒会へ参加という”行動”を起こしている。
キッカケがどうであれ、これからの未来を変えるのは自らの”意思”と”行動”しかないだろう。
その先にはきっと素晴らしい”出逢い”が待っているはずだ。