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人生生涯うなぎ職人 -野田岩五代目 金本兼次郎-

「致知」

人間学を学ぶ月刊誌「致知」2018年6月号特集テーマ「父と子」より、連載《生涯現役》に登場しているうなぎ屋「野田岩」五代目 金本兼次郎氏が登場しています。

御歳九十歳にしていまだ厨房に立ち60年に渡って老舗の味を守ってらっしゃいます。

五代目として店に出るということは、弟子であれ自身であれお客様に出す前に焼き具合などを検品を必ずしていて、ただお店に居るだけではない存在なんですよ。

 

無類のうなぎ好きの筆者は、先日今年初のうなぎを食したところですが、ニュースでも報道されるよう稚魚不足でどんどんうなぎが食べられなくという風潮がここ数年あり寂しい限りです。

稚魚不足というのもいまに始まったことではなく、老舗を守るために動き続けて来た五代目の軌跡を追う意味でもご紹介します。

 

うなぎ屋「野田岩」ってどんなお店?

 

芝 麻布 飯倉 野田岩
【公式サイト】東京都港区東麻布。鰻の老舗、五代目 野田岩の公式サイトです。野田岩の創業は、およそ二百年前、江戸時代の寛政年間。江戸時代からの技術と美味しさを今日まで、変わることなく守り続けています。

 

非常にシンプルなホームページですね。

多くを語らずとも行って見たくなるお店です。いくつかお店があるのでまとめておきます。

創業が江戸時代からで200余年の歴史があり、現在で五代目となっています。

 

麻布飯倉本店東京都港区東麻布1-5-403-3583-7852
銀座店東京都中央区銀座4丁目2-15 塚本素山ビル地下1階03-5524-3125
下北沢店東京都世田谷区北沢2-19-1503-3413-0105
日本橋高島屋店東京都中央区日本橋2-4-103-3211-4111
パリ店272, rue Saint-Honore-75001Paris (1)42860342

 

うなぎ屋さんのホームページに採用情報のコーナーがあるのは驚きましたが、記事内で五代目自ら指導していることも書かれています。90歳の親方が18歳の若い子にうなぎの裂き方を教える。しかも自分自身も下仕事と言ってもいいような、<裂き>を今でも毎朝やってその姿を後進に見せているそうです。

お弟子さんも気が休まらないんじゃないかと思いますけど、良い修行になりますよね。

 

「裂くのに三年、串打ちに三年、焼くのは一生」

 

こちらは、うなぎの修行の難しさを表した言葉。どこかで聞いたことはありますよね。

この「焼くのは一生」という部分、老舗だからといっておごる事無く貪欲に追求する姿勢は先代から連綿と続いているようです。

 

三代目は、自身が継ぐとなったら周辺のうなぎ屋を一軒一軒見て歩いて、良いところがあれば取り入れたそうです。

先代(父親)は、同じように他店を見にいって「あそこの女将さんの団扇のあおぎ方を見てこい」というように、他店から学ぶ姿勢を大切にしていたそうです。

その環境ですから、五代目自身もいまでも有名店に行って良いことがあれば盗んで店で取り入れるそうです。

 

そして、「焼き」については今でも一つ一つ細かい部分まで五代目がチェックしているそうです。というのも、やはり20年ほどの修の末やっと「このあたり」というポイントがわかったというほど難しい。そしてそれが大きな差になるようです。

ポイントは、黄金色に焼き上げること。

そして焼きたては荒々しい色になっているので、重箱のご飯の上で2分〜3分後に良い色になるように意識しているというのが巨匠の仕事のようです。

こんなことを意識しながら食べたことがないですけど、これが職人技というやつですね。

 

天然うなぎにこだわっていた、、、

 

「こだわっていた、、、」

 

なぜ過去形かと言うと、現在は養殖うなぎを使っているからです。

五代目は現在九十歳ですが、五代目就任は三十歳の頃。まる六十年もの間、老舗の看板を背負ってらっしゃる。その中で紆余曲折があったそうです。

1957年頃に天然うなぎの流通量が激減して、東京では仕入れができなくなって茨城や千葉の問屋まで仕入れに行って、帰ってくるのは真夜中。日の出前から仕込みが始まるので体が持たない。

 

そこで香港に買い付けに行けば、うなぎの扱いが悪いから傷が付くから使えない。

そこでフランスから仕入れていたこともあったが、冬場になるとどうしても天然物が入らない。どうしたか??

 

「三ヶ月ぐらいの休みならなんとか凌げる」

というわけで、それから14年間は冬場は休みにしたそうです。すごい決断ですよね。

しかしながら、その間も香港の市場でいろんなお店を見たりしていると、どんどん考え方が変わって来て、養殖うなぎを使うようになったそうです。

 

頑なに伝統を守ることを考えていたけど、それだけではダメだな。商売っていうのは発想を変えてやっていかないといけないことに気づいた。

 

その後は昭和50年代には、ワインの提供を始めたり真空パックのうなぎの売り出しなど初めての試みを続けて行ったそうだ。

これで注目すべきは、五代目はこの頃で五十歳です。この頃に発想を変えるというのはなかなか難しいと思いますが、強い信念があったんでしょうね。

 

五代目の転機

 

このように九十歳になっても現役でいる健康の秘訣は、やはり現場から離れないこと。

そして、若い弟子との交流ではないでしょうか。

 

「一流の会社の社長は、従業員とその家族を守るけど、そんなことしてるあんたにそれができるかい?」

 

これは五十代の頃、毎晩飲み歩いて時代にお医者さんに言われた言葉だそうだ。

 

その瞬間、ハッと気づいてスパッと飲み歩くことをやめたそうです。

もちろん飲み仲間からは悪く言われたようですが、それがいまに至る健康の礎になっていると語ってらっしゃいます。

 

また、キッカケになった従業員(弟子)への指導について、このように語っています。

 

教えるとは飽きずに我慢すること

 

やはり弟子で入ってくるのは18歳ぐらいから。そこから基本の裂きを教えて半年経ってもいっこうにうまくいかない弟子がいても、ある一瞬でできる時がくる。

その時まで我慢我慢の連続で、その一瞬を引き出すのが教える側の務めだと語っています。

 

まとめ

 

いかがでしかたか?

この生涯現役のコーナーは本当に勉強になる方が取り上げられていますね。そしてこの時期に、うなぎ職人を取り上げる致知の編集部のさすがです。

近年はスーパーのうなぎも高騰してきて、なかなか土用の丑の日と言ってもうなぎから遠ざかっている方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。

うなぎを食べる頻度は減ったかもしれませんが、年に一度や二度こんな名店でうな重を頂くのも幸せでしょうね。